一条寛治のブログ

日本憲法と安全保障について考えるブログです。

美濃部達吉『憲法講話』 序文(大正元年版/大正7年版)

 

 明治四十四年の夏余は文部省の開催せる中等教員夏期講習会に於て帝国憲法の大要を講話するの委嘱を受け、七月の末より八月の初に亘り前後約十回を以て其の講話を終れり。当時聴講者諸氏の其の筆記を公にせんことを希望せらるるもの多かりしを以て、爾来其の補訂の事に従ふこと半年、今僅に其の業を終りて玆に之を公にすることとなりぬ。

 惟ふに我が国に憲政を施行せられてより既に二十余年を経たりと雖も、憲政の智識の未だ一般に普及せざること殆ど意想の外に在り。専門の学者にして憲法の事を論ずる者の間にすらも、尚言を国体に藉りてひたすらに専制的の思想を鼓吹し、国民の権利を抑へて其の絶対の服従を要求し、立憲政治の仮想の下に其の実は専制政治を行はんとするの主張を聞くこと稀ならず。

 余は憲法の研究に従へる一人として、多年此の有様を慨嘆し、若し機会あらば国民教育の為に平易に憲法の要領を講ぜる一書を著はさんことを希望し居たりしも、公務繁忙にして其の暇を得ること能はざりしは常に遺憾とする所なりき。偶文部省の委嘱ありて、師範学校中学校校長教員諸氏の前に憲法の大意を講する機会を得たるは、余の平生の希望の幾分を満たし得たるものにして、余は与へられたる時間を出来得る限り最も有効に利用せんことを勉め、略予定の如き講演を終ることを得たり。

 固より僅に十回の講演に過ぎざれば、法律的の議論の専門に渉るものは成るべく之を避けたれども、尚憲法上の重要なる諸問題は略漏なく論ずることを得たるのみならず、行政組織、行政作用の大綱、殖民地制度等に付いても、多少論及することを得たり。就中憲法の根本的精神を明にし、一部の人の間に流布する変装的専制政治の主張を排することは、余の最も勉めたる所なりき。

 本書は此の講演の速記を基礎として之に多少の修正増補を加へたるものなり。余は曩に『日本国法学』の一書を著さんことを企て、数年前其の第一冊を公刊したりしが、種々の事情に妨げられ、爾来一時其の編述を中絶せり。其の続稿を公にし得るは恐らくは数年の後なるべし。本書は固より之に代はるべきものにはあらざれども、尚帝国憲法の趣旨を闡明し、健全なる立憲思想を普及せんとすることに於ては其の目的を同じうす。若し本書に依りて多少なりとも此の目的に資することあらば余の本懐之に過ぎず。

 

 明治四十五年紀元節の日  美濃部達吉

 

 

 

 憲法講話の縮刷に付いて

 久しく絶版となつて居た憲法講話が、今も需要者が絶えぬといふことで、書肆から切りにその再版を促がされ、因つて多少の改訂を加へて、縮刷して、再び之を公にすることとなつた。

 憲法講話はもと明治四十四年に文部省の委嘱に依り中等教員夏期講習会に於て為した講演の速記を基礎とし、之に多くの補正を加へたもので、今回之を縮刷するに付いては、尚其の以後に行はれた法令の改正を追補し、其の他前版の誤は成るべく之を訂正することに努めた。けれども僅に十回の講演を基としたものであるから、説明の不完全な箇処の少くないことは、充分に自認する所である。

 顧みれば、初めて本書を公にした当時には、一部の人々から、本書が恰も我が国体の基礎を揺かさんとする危険思想を含むものゝ如くに攻撃せられ、一時大に世の視聴を惹いた。今玆に之を再版に付するのは、本書に如何なる欠点が有るにもせよ、少くとも此の如き危険思想は寸毫だも之を包含せず、却て健全なる立憲思想に終始するものたることを確信するからである。

 

 大正七年九月  美濃部達吉

 

 

 ※いずれも古字及び旧字体を新字体に改め、改行を加えた外は原文のまま。