一条寛治のブログ

日本憲法と安全保障について考えるブログです。

日本国憲法前文 第一段③ 新憲法の国民主権主義① 国民主権の意義

【第一段前半】

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

 

 

 前文第一段は右に次いで専ら新憲法の基本主義としての国民主権主義に付き宣言して居る。『ここに主権が国民に存することを宣言し』と曰つて居るのは、其の直截簡明な断定である。

 「主権」といふ語は種々の意義に混同して用ゐらるる語で、場所に依り其の意義は一様ではないが、主権が君主に属すとか国民に属すとかいふ場合の所謂主権は、国家内部の統治組織に於いて統治権を発動する最高の力が何れの機関に属するかの問題に関するもので、其の所謂主権とは何を謂ふかの定義を与へようとするならば、「国家意思を構成する最高の力」とか「国家の権力の発動する最高の源泉」とでも定義すべきものである。政府の原案に『国民の総意が至高なものである』と曰つて居るのは、即ち此の最高の力が国民に属することを意味して居るもので、『主権が国民に存す』といふのと全く其の意義を同じうするものである。

 それは国家自身に属するものではなくして、国家機関に属するもので、国家機関の中で国家の権力を発動する最高の力を有するものが其の意義に於いて主権を有すと称せらるるのである。美濃部達吉『新憲法逐条解説』p11-12)

 

 かつて美濃部自身も「天皇主権」という語を用いたが、天皇は国家権力の最高の源泉であるという意味であり、穂積・上杉らの説く「天皇親政」を意味するものではなかった。

 「国民主権」は、国民が国家権力の最高の源泉であるという意味になる。

 

 主権が国民に属すといふ場合の所謂「国民」とは何を謂ふかに付いては、小児や発狂者や在監人など全然政治に参加することの出来ない総ての者をも含めた意味の全国民の意に解すべきではなく、現に政治に参加する権利を有する者即ち投票権者の全体を意味するものと解すべきである(同p12)

 

 「国民主権」という場合の国民とは、現在でいう「有権者団」に当たる。つまり、国民主権とは、有権者団の意思が国家権力の最高の源泉である、ということになる。

 

 要するに新憲法国民主権主義を宣言して居ることは、即ち主権がもはや天皇には属しないことを明示して居るものである。旧憲法に於いて天皇に属してゐた統治の最高の権力は新憲法に依り国民に移され、国民が最高の権力を保有するものとなつたのである。但し国民は一二の特別の場合を除くの外自ら直接に其の権力を行使することを為さず、其の代表機関を通じて之を行使するもので、代表機関の行為が憲法上に国民の行為と見做さるるものであることは、後に述ぶる通りである。(同p12-13)