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一条寛治のブログ

日本憲法と安全保障について考えるブログです。

【憲法逐条解説】 序説(一) 日本国憲法は帝国憲法を廃棄して、新しく制定したものである

『新憲法逐条解説』補訂

      序    説

 

 一 新憲法制定の手続

 新「日本国憲法」は昭和二十一年十一月三日に公布せられ、公布後六箇月を経て実施せらるることに定められた。即ち二十二年五月三日からは、愈々従来の「大日本帝国憲法」は其の効力を失ひ、新憲法が之に代つて日本国の基礎法となるのである。旧憲法が始めて実施せられた明治二十三年から数へると、まさに五十七年を経過して居り、其の間は一箇条の修正すら嘗て議に上つたことも無かつたが、予想せられなかつた国情の変化は、千載不磨の大典と称せられてゐた旧憲法をして、ここに全面的に廃棄せらるるの運命に立ち入らしめたのである。

 

 新憲法は其の制定の手続から言ふと、旧憲法第七十三条に依り、憲法の条項の改正として、勅命を以て議案を帝国議会の議に付し、其の議決の後天皇の裁可を経て公布せられたもので、其の公布の上諭の中にも『帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる』と明言せられて居るのであるが、其の実質から言ふと、単に旧憲法の一部の条項を改正したに止まるものではなく、旧憲法は全面的に之を廃棄し、国家の統治機構を根柢から変革して全く新規な憲法を制定したものである。殊に旧憲法は欽定憲法であつて天皇の意思の発表として其の効力を有するものであつたのに反して、新憲法は其の前文に於いて既に国民が其の制定者であることを宣言し、憲法は国民の総意の発現であつて其の改正権は専ら国民に属することを主義として居る。即ち新憲法は実質上は旧憲法の改正として見るべきものではなく、旧憲法とは其の制定者をも異にし、旧憲法には全く予想せられなかつた新なる国家機構がそれに依り新規に樹立せらるるのである。

 

 此の如き新憲法の制定が旧憲法第七十三条の改正手続に依り行はれたことが、果して形式上正当と見るべきや否やは、頗る疑はしい問題で、旧憲法第七十三条が此の如き根本的変革をも予想した規定であるとは、容易に思考し難い。同条は欽定憲法の改正手続に付いての規定で、欽定憲法たることは之を固持し、唯其の或る条項を改正する必要ある場合に於いて同条の手続に依るべきものとして居るのであつて、同条に依り憲法の改正を行はせらるるのは天皇であつて、議会ではなく、議会は唯之に協賛するに止まるのである。同条の手続に依つて定められたに拘らず、国民が之を制定したものとするのは、それだけでも名実相反するの嫌を免れないであらう。

 

 以上の如き非難は唯ポッダム宣言の受諾及び之に基づく降伏条項を考察するに依つてのみ之を解くことが出来る。ポッダム宣言及び我が政府の同宣言受諾の申入に対する聯合国政府の回答文書中には、何れも「日本国国民の自由に表明せる意思に依り」平和的な新日本国の政府の形態を決定すべきことを要求して居る。それは国民が新憲法の制定者であり最高権者であるべきことを命じて居るもので、其の命令は我が国に対し憲法にも優る絶対の拘束力を有し、而してそれは我が従来の憲法の基礎たる君主主権主義及び之に基く欽定憲法主義を覆して、新憲法が国民の自由意思に依り制定せらるべきことを命じて居るのであるから、それに依り従来の憲法は既に廃棄せられたもので、唯新憲法の制定に至るまで一時其の効力を継続することを認容せられたに止まるのである。

 

 それであるから我が国としては、新憲法の制定に当つては、必然に国民の自由なる意思の表明に依らねばならぬ拘束を受けてゐたのである。唯国民の自由な意思の表明を得るが為に如何なる方法を取るべきかに付いては、降伏条項の中にも別に指示する所は無く、而も憲法制定の為に特別な国民会議を開くやうな煩瑣な手続を経ることが当時の国際及び国内の政情から見て適切ならずと認められた為に、政府は形式上は旧憲法第七十三条に依り議案を帝国議会の議に付し其の自由なる討議に依り之を決するものとすることが、国民の自由なる意思の表明を得る為の最も適切な方法であると思惟し、因つて此の方法を取ることと為したものに外ならぬ。

 

 随つて形式上は旧憲法第七十三条の手続に依つたとは言へ、実質的には同条の本来の趣旨とは全く離れて、国民の自由なる意思の表明を求むるが為にしたもので、勅命を以て付議せられた議案も唯参考案たるに止まり議会を拘束する何等の力も無く、議会は国民の意思を表明すべき代表者として自由に之を討議したのであつて、其の修正が完全に自由であるは勿論、新なる条項を増補することをも自由に為し得たのであつて、其の議決は国民の意思の表明としての効力を有するのである。其の議決の後形式上には尚天皇の裁可を経て公布せられたけれども、其の裁可は実質上には旧憲法に依る裁可とは性質を異にし、国家意思を決定する行為ではなくして、議会の議決に依り既に決定せられた国家意思を認証する意義を有するに止まるのである。新憲法公布の上諭に『朕日本国民の総意に基いて新日本建設の礎が定まるに至つたことを深くよろこび』とあるのも、此の意を示すものである。

 

 要するに新憲法は形式上は旧憲法第七十三条の手続に依り定められたものであるが、それが為に新憲法は其の効力の基礎を旧憲法に有するものと誤解してはならぬ。新憲法は旧憲法に基き制定せられたものではなくして、ポッダム宣言受諾の結果新に主権を保有するに至つた国民が、其の主権に基き制定したのであつて、其の効力の根拠は一に国民の主権に存するのである。