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国家とは何だろうか

日本憲法と安全保障について考えるブログです。

鍛冶俊樹『戦争の常識』(文春新書)を読む。②防衛、国防、安全保障の違い

読書メモ

 軍事ついての用語で、防衛国防安全保障がほぼ同意義に用いられることが多いので、一度整理する必要がある。

 

戦争の常識 (文春新書)

戦争の常識 (文春新書)

 

 

 「防衛とは専守防衛というような限定的な意味ではなく、敵地を攻撃し占領することまでを含む」(p31)

 「単に防衛と言った場合、軍事的に防衛することを指すことが多い」(p32)

 

 侵略を含まない総ての軍事行動と言える。

 

 「ところが第一次世界大戦は国家総力戦とも言われ、単に軍隊同士が戦ってすむ次元の戦争ではなくなってしまった。例えば航空機が戦争に登場した結果、爆弾を空から投下することが可能となった。一般市街も空襲の対象となり、市民をどう守るかは重要な課題となった。これを市民防衛あるいは民間防衛と言うが、ここでは軍隊の果たす役割はむしろ小さく、警察、消防さらには市民団体や自治組織の協力が不可欠となる。

 また敵の経済的な基盤を破壊しようとする戦略的な攻撃、例えば工場を爆撃するとか商船を撃沈するとかが行われると、それに対して工場を分散させるとか物資を備蓄するとか生産を調整するという経済防衛が必要となる。これは経済関係の官庁が担当しなければならない

 スパイが暗躍すれば情報防衛しなければならないから情報機関の出番となる。さらには思想防衛文化防衛も必要となり学者や芸術家、マスコミまで動員されたのである。まるで軍国主義そのもののようだが、実際は日本やドイツだけではなく、米国、英国、フランスなどでも世界大戦時はどこでも同じであった。

 こうした軍事防衛やそのほかの各種防衛を総合して国防と呼ぶのである。国防においてはもはや軍隊が主役ではなく、各行政官庁が一体となって国民全体を防衛することとなる」(p32)

 

 情報防衛は、敵の諜報活動から自国を守るものであるから軍事防衛に含まれる。思想は文化の一部であるし、文化の根源には「國體」がある。経済防衛については、通貨防衛が第一だと思う。円が使えなくなっては、日本人は生活ができなくなる。

 唯一無二の國體を守るために、軍事と経済によって国防を為す。

 そして、これらは国民の協力なくしては為しえない。国民には国防の義務がある。

 

 「不安を除去するために、あらゆる手段を使うのが安全保障である。そこには武力の行使も経済封鎖や制裁も情報工作も同盟関係の構築も外交関係の修復も経済交流や文化交流も市場の開放も民主化の推進も福祉や教育の向上も科学技術の発達もすべて含まれる」(p33)

 

 ODAやJICAも安産保障のために行われる。

 

 「地上のどこに不安があるかは分からないから、地球規模で観察することが必要になる」(同)

 

 だから人工衛星の精度を高めて、世界中を観察しようとする。

 

 「また諸外国にも積極的に働きかけなければならない。ときには介入も必要となるし軍事行動も取るのである。そこに極めてアグレッシヴな性格があることは否定できない。

 米国はイラクフセインが不安の種であるが故に、これを積極的に除去した。米国は乱暴だなどと言ったところで、ヨーロッパだって自国が攻撃されたわけでもないのにアフガニスタンには兵を送ったのである」(p33-34)

 

 フセインはクェートのみならず、サウジアラビアにまで攻め込むのではないか、という不安から米国はイラクを攻撃した。

 アフガニスタンは東に支那、南にインド、西にイラン・イラクサウジアラビア、北はロシアへ抜ける「地政学的な要所」である。従って米国が単独で、そのアフガンを占領することは許し難く、英仏露もまた出兵した。

 

 「安全保障と国防の異なる点は、国防が戦時に重点が置かれているのに対して安全保障は戦時と平時の区別がない点だ。つまり国防は平時においては戦争に備えており、戦争が始まった時点で本領を発揮し、戦争終末とともに平時の態勢に復帰する。段階的区分が明確なのだ。ところが安全保障には始点も終点もない。戦争が始まろうが終わろうが間断なく安全保障の体制は継続している」(p34)

 

 日本の森林や観光地が「爆買い」されることが、国防上有害であることは間違いない。 このような「法の抜け穴」を埋めることが安全保障の体制を整えることである。