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国家とは何だろうか

日本憲法と安全保障について考えるブログです。

日本の歴史区分は、「古代」と「近代」だけでいい。

雑記

 私の見る所では、日本の歴史区分は「古代」「近代」の二つに分けられる。厳密には1万年続く縄文時代を「前古代」、大東亜戦争以後を「現代」と言えなくもないが、ここでは「中世」「近世」という分け方は必要ない、ということを強調しておきたい。

 

 古代、近代の始まりに線を引く基準は、文明の分岐点、即ち他文明との接触にあると思う。古代は支那文明、近代は西欧文明との接触が、それぞれ日本文明の分岐点になった。それら他文明は一度に押し寄せるのではなく、段階的に日本に伝わり、段階的に日本化した。

 

 古代の始まりは、縄文後期に本格的に稲作が定着する頃である。農耕自体は縄文中期には始まっており、自然の水たまりを利用する米作りも始まっていたが、灌漑を用いて行うようになるのは縄文後期とされる。その米を縄文人に伝えたのは長江流域の越人と言われている。つまり、縄文中期には支那文明と接触していたことになる。

 次に仏教儒学の宗教、思想である。厳密には仏教支那のものではないが、大陸から半島経由で伝わったということで一纏めにした。仏教については崇仏派と排仏派の間で内紛が起ったが、崇仏派の蘇我氏が勝利し、朝廷での勢力を強めた。

 最後に律令制度であるが、これは白村江の戦いの後に朝廷が採用したものである。大和軍が唐・新羅連合軍に敗北した後、朝廷は連合軍の大和侵攻に備え、唐の律令制に倣い軍備を整えた。これで日本が一気に古代化する。

 その後、唐風文化が盛んになるが、次第に国風文化へ移行する。これと時を同じくして律令制は崩れ、荘園の開墾・寄進が広く行われ、摂関政治院政が行われるようになる。更に、令外官である征夷大将軍武家)に政治の実権が移っていく。

 これは律令制を取り入れ古代化(唐化)したものの、それが崩れ日本化していく過程でもある。

 

 一方、近代化の始まりは鉄砲の伝来に始まる。鉄砲はこれまでの武士の戦い方を一変させた。敵地の攻略法が変われば防御法も変わる。当然屋敷の建て方も変わり、領民との関係も変わる。社会全体が変わるきっかけになったと言っていいかもしれない。

 次にキリスト教カトリック)が伝わる。しかし仏教と異なり日本に広まることはなかった。更に、布教の背後には侵略の意図があることが見抜かれたために、宣教師は追放され、商船さえ入港を禁止された。一方で新教国・オランダとは交流を続けていた。

 最後には立憲制度であるが、これは薩英戦争、四国連合艦隊砲撃事件の後に採用したものである。薩摩藩長州藩が英仏等の西洋諸国と戦火を交えた。そこでこれら国々の日本侵攻に備えるため、西欧の立憲政に倣い軍備を整えた。これで日本が一気に近代化した。

 その後、西洋文化が盛んになるが、それがどこまで日本化したかは、正直分らない。というのは、古代化が始まって1000年程度かかってそれを消化(日本化)したのであるから、近代化が始まって500年程の段階では判断できないからだ。言語でいえば、欧米の言葉は「外来語」として日本語の一部となっているし、食文化でいえば肉食は定着したが、それども米中心であることは変わらない。

 他方、立憲体制と共に国民国家の思想も採用したはずだが、国境や国籍についての危機意識が未だに低い。これは近代化(西欧化)を咀嚼、消化しきれていない一つの現れだろう。

 立憲政の下では荘園の代わりに所有権が不可侵の権利となった。結果として政商が現れ国政に影響力を持つようになった。また、その行き過ぎとして所得格差の拡大が指摘されている。士農工商のような、緩やかな身分制が復活するのだろうか。

 昭和期には軍事内閣が常態化したが、特筆すべきは東條英機内閣総理大臣陸軍大臣参謀総長の所謂「東條幕府」だろう。政治家には軍事外交についての知識も覚悟もない。刀伊の入寇の際の貴族と変わらない。武人による政権が相次いで成立したのは必然だったと言える。

 これは立憲体制を採り入れ、近代化(西欧化)したものの、それが崩れ日本化していく流れの一つだろうと思う。

 

 最後に余談ながら、文民統制自衛隊のクーデターを抑えていると語る次期総理候補の元防衛庁長官が居るが、寧ろ憲法を改正して軍隊を持たないことで却ってクーデターが起こるのではないか、と危惧する。