一条寛治のブログ

日本憲法と安全保障について考えるブログです。

鍛冶俊樹『国防の常識』(角川oneテーマ21)を読む。①国防と、文化と経済

 鍛冶俊樹氏の著書は、嘗て『戦争の常識』(文春新書)を紹介した。外に『領土の常識』(角川oneテーマ21)も読んだが、今回は『国防の常識』を基に記事を書こうと思う。

 

国防の常識 (oneテーマ21)

国防の常識 (oneテーマ21)

 

 

 「国防とは、国家を防衛するという意味である。しかし、だからといってただちに軍事防衛を意味しない」(p3)

 

 「統治機構が複雑化すればその防衛形態も複雑・多様化する。領土の防衛も同様で、自衛隊は水際防衛で対処するとしているが、それだけでは敵のスパイが土地を買い上げるのを阻止できない。

 まして国民全体を防衛するとなれば、その手段は一層複雑化する。しばしば国民の生命・財産を守るなどというが、実はそれだけでは国民全体を防衛していることにはならない。国民全体は経済文化に支えられているならば経済や文化をどう守るかを考えなくてはなるまい」(p3-4)

 

 現代国家は「縦割り行政」と揶揄される通り、「縄張り」が細分化され複雑・多様化している。土地の管轄については国、都道府県、市区町村で「縄張り」があるし、利用方法についても国交省農水省環境省防衛省等々で「縄張り」がある。国土の管理が統一されず、どの土地をいつ誰が売買したかを把握しきれないでいる。

 結果として外国資本に国土を「爆買い」され、租界と化しかねない集落が増えつつある。それは領土防衛の目が届かない地域が増えつつあることを意味している。

 

 

 「国民全体は経済と文化に支えられている。ならば経済や文化をどう守るかを考えなくてはなるまい

 

 ここを読んだときに、中野剛志『保守とは何だろうか』(NHK出版新書)の以下の文章を思い出した。引用して終わる。

 

 「商業と学芸は、「国家を形成し維持し、しかも諸国家を一つの共通な世界にまとめあげる」のに必要である。「商業と学芸とがたがいに混り合って存在することなしには国家は有り得ず、通商と科学なしには国家間の絆はできません」(p212)

 「商業が発達し、経済的に反映しているからといって、学芸が発展し、精神が向上しているとは限らない。しかし、学芸が発達し、精神が向上している場合には、経済的繁栄ももたらされる。逆に、学芸が低俗化し、精神が劣化している場合には、経済的繁栄も失われていき、国家自体が衰退する」(p213)

 「国家は、学芸の発達と精神の向上がなくとも、経済的には繁栄しうるのかもしれない。しかし、そのような「国民の豊かな暮らしが、支配階級の目的と庶民の感情のなかで首位を占めているような国家の、外面的繁栄」が長続きすることはない」(p213-214)

 

 有り体に言えば、「物質的豊かさ」が「精神的豊かさ」を放逐した国は、一時経済的に繁栄するが、早晩崩れ去ることになる。

 

 「日本人は、今もってなお、経済成長と財政健全化を国家の最優先事項とし続けている。教育は、教養を貶め、文明の過剰を促進するものへと改変されようとしている。それどころか、学芸や文化までも、輸入品の一つとみなし、経済成長の手段にしようとするまでに、日本人の精神は劣化している。

 精神が劣化した国家は、遅かれ早かれ、経済的にも衰退する運命にある。しかし、そのような話を富裕な商業国は「最も聞きたがらず、信じたがらない」であろう」(p214)

 

 ▼引用文献

保守とは何だろうか (NHK出版新書)

保守とは何だろうか (NHK出版新書)

 

 

 

 最後に一言。

 中野氏が指摘するように、私も日本人の精神は劣化していると感じる。如何に軍事力を高めるにも経済力が必要であるし、経済力は国民の精神、文化の力が必要になる。文化を蔑ろにしてきた日本人に、現在の支那朝鮮で起こり得る有事に備え、一旦緩急あらば武器を取る覚悟はあるか、或いはその能力はあるか、甚だ疑問である。